G.ヴェルディ『オテロ』(演奏会形式)Bunkamura

http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/17_otello/

私が観たのは9月8日(金)公演初日です。

お目当てはアンドレア・バッティストーニの指揮。彼の講演を何度か聴講していて、その深い考察に興味を惹かれていました。

特に彼のヴェルディ作品に対する解釈は奥深く、独自の視点や解釈も面白くて、この人の振るヴェルディは絶対聴かねばと思っていたのです。

果たして彼の指揮ぶりは、ポスターや話しぶりから想像していた通りで、若い情熱がほとばしる熱いものでした。

「ヴェルディはこうでなくちゃ!」という「激情」がはっきりと形になっていて、そこは私的に気持ち良かったというか圧倒的同意とでも言いましょうか。

ただ残念ながら、この日の公演は失敗でしょう。

当たり前のことではあるけれど、やはりオペラというのは歌手の力量、ソリストの出来不出来で決まってしまうものです。

題名役のフランチェスコ・アニーレは喉の調子が悪く、ずっと痰が絡んだような声。フォルテ&フォルテッシモは何とかなっていましたが、あとはどうにも汚い濁音が混じって聞き苦しいことこの上なし。

私はこの人を聞くのは初めてだったので普段どうなのかはわからないけど、まあ今回は威厳も品格もなく、とてもオテロに相応しいとは言い難かった。

完璧な「オテロ声」は持っているので、ほんと勿体ない。

イヤーゴのイヴァン・インヴェラルディは、こういうただ卑怯で腹黒いだけのイヤーゴがいても良いのかなとは思うけど、不調のオテロを庇えるほどの力はないわけです。

この人は、ファルスタッフなんかは良いんじゃないでしょうか。私はイヤーゴはインテリかインテリ崩れであってほしいので、好みのイヤーゴではなかった。

そんな中でエレーナ・モシュクのデズデーモナには安定感があり救いでした。

それにしても改めてヴェルディの芸術というのは、ソリスト次第であっという間にただの三流昼メロドラマに成り下がってしまうということを実感した公演でした。

声のコントロールを失った品のないソリストが目を剥き、大声を張り上げて、好きだの愛してるだの、死ぬのどうこう騒ぎ立てても、滑稽極まりないだけですよホントに。

最後、オテロの死のシーンは、あまりのバカバカしさにもう目を覆うばかり。

ただ東フィルと合唱は素晴らしかったです、特に合唱は際立っていました。この日の公演のためにどれほど練習しただろうかと感心させられる出来。この作品における合唱の重要さを再認識させられました。

11日(日)の公演がどうだったのか気になるところです。